自分の理解を超えていた初任校
 ~ルールを印籠に~

大学を卒業後に赴任したのが都立高校で一番偏差値が低い、専門学科のある学校。

赴任早々
「この学校では先生より私たちが先輩だから」
と、2,3年生に言われたり

「知美ちゃーん」
と呼ばれて授業中も好き放題。

言っても聞かないから、ルールを印籠のように持ち出して授業の秩序を保とうとしていました。

こんな調子なので、初めて担任になった時も、様々な個性の生徒たちに振り回されっぱなし。

しかも、ライター所持(校則で禁止されていました)で保護者に来てもらっても
「高校生くらいになったら普通タバコ吸いますよね」
と言われて、糠に釘状態をどうすることもできず

「ルールだから」

で片づけていました。

また
成績が進級のルールに届かなかったり、遅刻や欠席が多くて出席日数が足りなくなりそうな子たちに

「このままじゃ進級できないよ、だから頑張りなさい」

という声がけしかできなくて、入学してきた40人のうち、10人が学校を離れることになりました。

そのような学級運営をしていたので、クラスの男子の半数が1つの事件で謹慎になることも。

状況を聞いている時、1人の生徒に
「先生、俺のこと信じてないでしょ!」
と言われました。

私もその時は怒っていたので、売り言葉に買い言葉で
「信じてないよ!遅刻をしても学校に毎日来ること以外はね!」
と言ってしまったのです。

その時の生徒の顔が悲しそうだったのを今でもよく覚えています。

思い起こせば

何か言いたいならルールをまずは守るべき。
ルールを守らない人に発言権なし!

そんな風に思って生徒たちと関わっていました。

「中途半端なことやってるなよ!」と怒りまくってた3校目

やんちゃトラブルを起こす生徒が多かった初任校の次に、島しょの学校へ異動しました。

島の生徒たちを大きくくくると、良くも悪くも思ったことを素直にことばで表現する子たちでした。(もちろん様々なタイプの子がいて、悩みを抱えていないということではありませんが)

その2校を経て赴任したのが、中堅の普通科の学校。
大半がルールを守りながら学校生活を送っていて、生活指導上の問題が起こることもほとんどありませんでした。

ここでの私は、何にスイッチが入っていたのか怒りまくっていました。
おそらく、「ヒステリックなおばちゃん」くらいに思われていたと思います。

というのも

授業の遅刻と欠席の微妙な時間に教室に入ってきて、遅刻を主張する
授業中に周りの生徒を自分のおしゃべりに巻き込む
何度も警告を発したのに、いざ成績に関わることとなると言い訳を並べる

といったことをする一部の生徒に対して、それならば、と

時計を電波時計にする
授業中に何度も語気を強めて注意する
理由は考慮せず成績をつける
といった、対抗措置をとっていました。

1校目、2校目と経験してきた私にとって、この生徒たちの行動はなんとも中途半端に感じていたからです。

1校目の生徒たちのように、表現の仕方の是非は別としても不満を体いっぱいで表現するのでもなく、2校目の生徒たちのように、思ったことを素直に口にするでもない態度を、とても小賢しく思っていました。

あろうことか、他の学校の生徒たちと比較をしていたのでした

点で捉えて決めつけていた

当たり前のことですが、教員時代に出会った子たちは、誰一人として同じ子はいません。
 
部活動や生徒会活動に情熱を注いでいる子
座席はいつも前に座って授業を一生懸命にきく子
ほとんど誰とも話さない子
授業中に気の向くままに行動する子
授業も課外活動も友だちとの関係もアルバイトもバランスよく生活する子
授業中内職していてもテストの点を取れる子
クラスを盛り上げる子
朝起きるのがやっとの子
ある日突然金髪にしてくる子
周りの人に関心が強い子
周りの人に無関心な子
将来の夢を明確に持っている子
学校以外の場所に居場所を持っている子
正義感が強い子
 ・
 ・
 ・
どんな子たちにも、それぞれを取り巻く環境があり、生きてきた人生があります。
 
ですが
教員時代の私は、学校で会っている時間という点で生徒たちを見ていました。
 
今日会って明日会う。その間には時間や空間が広がっていて、私が見て知っていることはほんの一部でしかないのに。
 
そして
たとえ会っていない時間のことを想像したとしても
「きっと○○に違いない」
と先入観を持った決めつけの想像でした。
 
今思えば、生徒たちもできごとも 全て自分のものさしでしか見ていない、そんな教員時代でした。